言葉が通じなくても会話はできる

会話しながら一緒にコイに餌やりする兄妹 日々思うこと

言語が違う二人の会話

以前、息子が保育園に通っていた時、

中国語しか話せない子が入園してきました。

日本語しか分からない息子とは、当然、言葉が通じません。

ところが二人は、かなり楽しそうに会話していました。

相手の子は中国語。息子は日本語。

それでも、お互いに話しかけ、

相手の話に反応し、笑い合っています。

不思議に思った私は息子に聞いてみました。

「なんで会話できてるの…?」

すると息子はきょとんとして、

「だって、僕も○○くんも伝えようとしてるから。聞こうとしてるから」

とのこと。

相手に伝えようとする。相手の話を聞こうとする。

彼らにとっては、ただそれだけのことでした。

語り合うことがヒトの本質

その話を聞いて妙に納得してしまいました。

会話で大切なのは同じ言語を話せることよりも、

伝えようとすること。聞こうとすること。

まずは、そこなのでしょう。

子どもは大人ほど余計なことを考えません。

相手と話したいから話す。

分からなければ、分かろうと聞き入る。

一方、大人になると知恵がつきます。

相手の言葉の裏を読んだり、

余計な駆け引きが入ります。

賢くなったことで利点もありますが、

かえって意思疎通が難しくなることもある。

そういう意味では、

子どもの方がヒトという生きものの本質を

発揮できているのかもしれません。

人が白目を持つ意味

息子の話から、

ヒトの白目に関する話を思い出しました。

ヒト以外の動物には白目がありません。

正確には、白目に相当する部位はあっても、

白色ではなく瞳(黒い部分)と似た色をしています。

理由は諸説ありますが、

白目があると瞳(黒い部分)とのコントラストが

大きくなり、自分がどこを見ているのかを

相手に悟られやすくなるからと言われています。

相手に目線を悟られると、

例えば闘争時に次の行動をよまれてしまい、

生き残る上で不利になるからです。

一方で人は白目があることで、

相手に目線がはっきり分かります。

「私はあなたを見ている」

「あなたに語りかけている」

そんなことを目でも相手に伝えやすくなっています。

ヒトは敢えて自分の目線を示し、

闘争よりも円滑なコミュニケーションを図るように

進化したと言われています。

中国語しか分からない友達と、

日本語しか分からない息子。

彼らは言語が違うから会話ができないとは

考えていませんでした。

ただ伝えようとしていた。そして聞こうとしていた。

その結果、会話ができたのです。

息子の何気ない言葉から、ヒトという生きものの

本質について改めて考えさせられました。

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